【株式会社トランクのその後】今は「僕ららしい飲食店をもう一度、組み直す時」。コロナ禍を経たトランクブランドの在り方
2024年08月27日
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琉球ジャーナルが過去に取材した方を、後追い取材する「その後」シリーズ。
今回は、株式会社トランク代表取締役社長・野間 謙策(のま けんさく)さんのもとを訪れた。
2019年に取材した過去記事はこちら
https://journal.ryukyu/eat/1939
前回取材したのは、新型コロナウイルスが猛威を振るう前。当時は外食産業の地位を上げたい、そのためにまず今いる店長たちの給料を上げたいとおっしゃっていた。
その後突如襲った新型コロナウイルスの猛威は、飲食店全体に大きな影響を与えた。コロナ禍をどう生き延びたのか、コロナ前と後で会社はどう変わったのかを踏まえつつ、気になる「その後」を伺った。
沖縄で最初に全店休業!トランクならではのサービスを模索
三好 前回取材した際は、たしか3店舗オープンを控えていました。その後も店舗展開されているようですが、現在は何店舗あるんでしょうか。
野間さん 取材いただいた時は全体で12店舗だったのが、増えたり減ったりして、今は14店舗です。プラス2店舗。あんまり増えてないですね。
三好 2店舗増えているんですね!コロナ禍があったのに。取材したのはコロナ前でした。新型コロナウイルスは飲食店全体に大きな影響を与えたと思いますが、トランクさんはどうでしたか?
野間さん 死にそうでした。そんな気はなかったですけど、正直かなり厳しかったですね。うちは沖縄で一番最初に全店休業したんです。ゴールデンウイーク前の4月。よく分からないウイルスがうじゃうじゃいる中で働かせられないですから。とはいえ休業中もスタッフの食い扶持は作らないといけません。当時はまだ補助金の話もなかったので、急遽、役員全員を僕の家に集めて、泊まり込みで話し合いました。その結果、オンラインショップを立ち上げることにしたんです。
三好 オンラインショップ!それはどういったものですか?
野間さん いつもお世話になってるお客様に向けて、デリバリーでトランクの商品を配達するサービスです。ご注文いただいたらウエイターがお届けして、商品の説明をして、食事に合うワインを紹介して、「今日は素敵なディナーを楽しんでくださいね」で締める。玄関先でも、僕たちなりにレストランのサービスを提供しようという話になりました。
三好 反響はどうでしたか?
野間さん 一生懸命やってたらそれなりに使っていただけました。パンクするほど殺到した日もあります。それでもスタッフの数が多いので、ド赤字でしたけどね。だけど、やらないよりはマシだろうと。そんな時、国から飲食店に「家賃補助最大600万円出ます」という情報が出たんです。うちの規模なら600万円取れるなと思いました。めっちゃ助かる!と。だけどいざ要件を見ると「×月と×月が前年比で売上50%未満」と書いてある。ちょうど指定月がオンラインショップをはじめた月と被ってて、計算したら52%。ギリギリ貰えないんですよ。めっちゃ悔しかったです。なんという失敗をしてしまったんだと思いました。
三好 それはショックすぎます。
野間さん しかも当時、コロナ禍の影響で新都心店を閉店したんですけど、閉店した後になって「時短営業協力金」みたいなのが出たんですよ。新都心店はそれなりの売上だったので、もし閉めてなかったら結構な額を貰えてたんです。勘弁してよと思いました。
三好 ことごとく補助金を貰い損ねている…。そんなことってあるんですね。
野間さん これはもう走り続けるしかないって思いましたね。ただ、補助金は散々だったけど、いいこともありました。ずっとやりたかったデリカテッセンをやれる流れができたんです。
時代的には「下り坂」。だけど本当はやりたかったデリカテッセンの道が開けた
三好 どんな流れがあって、デリカテッセンをスタートされたんですか?
野間さん デリバリーをやり始めた頃、弊社のブランドのひとつである「PUZO(プーゾ)チーズケーキセラー」泊店が、あっぷるタウンに移転することになったんですよ。隣のテナントがパン屋だったのが移転の決め手だったんですけど、入ってすぐにパン屋がなくなってしまって。パン屋とケーキ屋はセットだろうと思っていたのでショックでしたが、待てよ、今僕たちは総菜のデリバリーをやってるな、パンさえできればデリカテッセンできるな、という発想になりました。
実は僕、10年くらい前から、デリカテッセンをやりたくてやりたくてしょうがなかったんですよ。だけど時代的にはデリカテッセンは下り坂。だから我慢してたんですが、これは神様がやりなさいと言ってるんじゃないかって思ったんです。
三好 それでデリカテッセンを。どんなことから始められたんですか?
野間さん スタッフを集めて「パン屋はやったことがないけど、やってもいいですか」って確認して、OKもらって。沖縄製粉さんに商品開発、人材育成をお手伝いしてもらって、パンの技術を習得しました。どうせやるならPUZOみたいに、パン屋の店舗展開もしたいと思ってます。
「数字ばっかり見てると、レストランやっちゃいけないって数字が出るんですけど」
三好 ある意味、デリカテッセンはコロナ禍がきっかけで始められた事業だと思いますが、コロナ禍で会社としての方向性にも何か変化はありましたか?
野間さん 会社の在り方が変わりましたね。以前はレストランを中心にイートイン事業ばかりやっていましたが、コロナ禍を機に小売や販売が増えた。「食」ってカテゴリはそのままだけど、やってるうちに中身が変わった感じですね。
三好 飲食以外のことをやろうとは思わなかったんですか?
野間さん 思わなかったですね。飲食は株式会社トランクのコアの部分なので、そこをなくしたくはない。実はこの店(※取材をした久茂地店)は、コロナ禍が明けてもしばらく閉店したままだったんです。新しい部門を動かしちゃったので人のリソースが足りなくて。家賃も高いから、本当はテナントを返すべきなんだけど、創業したお店ということもあって思い入れがあるんですよ。どうにかできないかなと思って、2年前から僕ができる範囲でお店に立つことにしたんです。
三好 野間さんがお店に!
野間さん 数字ばっかり見てると、レストランやっちゃいけないって数字が出るんです。だけど、それでもトランクは飲食店をやるべき会社だと思った。じゃあ自分がお店に立って、カウンター越しにお客様からいろんな話を聞きながらサービスすることで、僕ららしい飲食店をもう一度、組み直すことができるんじゃないかと思ったんです。
早速お店をリニューアルして、週4日営業(木金土日)で、夜8時から2時までっていう超バータイム営業をはじめました。そしたら「久しぶりに野間ちゃん立つなら行こうか」って、創業当時の常連さんや飲食仲間の社長連中なんかも来てくれるようになったんです。自分が立ってみて、やっぱり飲食店って楽しいなって思いました。なきゃいけないなと。
野間さん ただその反面、誰にでもできるものではないとも感じました。僕やスタッフに会いに来てくれるお客様がたくさんいて、そのお客様方がお店の雰囲気を作ってくれている。「人」に依存する僕たちのスタイルは、店舗展開が難しいと思ったんです。人をそんなに育てられない。
三好 なるほど。今取り組んでいることはありますか?
野間さん 以前の取材で、僕「スタッフにすぐ怒ります」って言ってましたけど、今は怒る役割を誰かがやれるように教育しているところです。取締役の下に執行役員を今年から5人設けたんですけど、彼らがどうスタッフを育成していけるかが会社の成長に繋がってくると思っています。
僕らだけでやれることって限られてるので、下からどんと持ち上げてもらえるような組織にしていけたら伸びるかなぁと。伸ばせるブランドがある程度決まってるので、そこは思いっきり伸ばしていきながら、 人というブランドについては様子を見ながらやれればいいかなって感じですね。売り上げを取っていこうと思えば多分簡単なんですけど、今は「トランクはどの方向に行くべきなんだろう」を考える時にしたいと思っています。
その後も、コロナ禍でテナントを休業する際にデパートや空港に粘り強く交渉した話や、予定していた大型レストランの話を中断し、謝罪をしに行った話など、たくさんのエピソードを話していただいた。
経営者としてあらゆる数字的な判断を下しつつも、必要なら怒りもするし喧嘩もするし謝罪もする、さらに店にも立つ。野間さんのその姿勢に、スタッフや常連さんがついてくるのだろうなと思う。そしてとにかく久茂地店に飲みに行かなくちゃと思った。
◆株式会社トランク公式サイト
投稿者プロフィール
三好 優実 - 2024/08/27
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